2018/04/30公開 ニュース

エイベックス亭に初の落語家が誕生! 三遊亭とむが新たな笑いを巻き起こす!

2017年末、エイベックス・マネジメント初の落語家が誕生したのをご存知でしょうか?
その名前は『三遊亭とむ』。
以前は『末高 斗夢(すえたか とむ)』という名前でお笑い芸人としてさまざまなバラエティ番組で活躍し、また落語家に転身してからはピン芸人の大会『R-1ぐらんぷり』で決勝に進出した経験もある実力派。
さらに現在では『MBS ヤングタウン日曜日』(MBSラジオ)で笑福亭鶴瓶師匠と共演中。
2人の息の合った掛け合いのファンも多く、その活動の幅・人脈はとても多彩です。

しかし、なぜ代表的な古典芸能である落語家活動を続ける彼がエイベックスに入ったのでしょうか?
その真相と、お笑い芸人から落語家に転身した経緯を聞くべく、三遊亭とむに突撃インタビューを敢行しました!

お笑い芸人時代

まず、お笑い芸人として活躍していた頃の話を伺ってみると…

「僕は他の人よりちょっと早く、15歳の頃からお笑いを始めていたんです。
自分でお笑いライブを仕切っていて、学校では生徒会長をしつつ、名古屋にある吉本興業さんの養成所に通ったり、ワハハ本舗さんの見習いも経験したり。とにかくいろんなことがやりたかった頃ですね」

なんと、高校生からお笑いを始めて、しかも学校では生徒会長の職まで!
なんというバイタリティ!

「僕、無駄に芸歴が長いんです(笑)。その頃から古坂大魔王さんにもお世話になってて。
19歳でホリプロさんに所属して、『爆笑オンエアバトル』や『踊る!さんま御殿!!』、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』にも出演してました。ひたすら色々なことに挑戦してましたね」

若くしてテレビで第一線の活躍をしていた彼には、いろいろなものへの好奇心とチャレンジ精神があったようです。

落語家への転身

芸人として順調に活躍していた彼が落語家に転身したきっかけ、とても興味ありますよね。
続いてそのあたりをズバリ伺ってみると…

「昔から落語に興味があって、初代の林家三平師匠や三遊亭歌之介師匠の落語を聞いたりしてたんです。で、いろいろなことをやりすぎて自分でも自分自身がよくわからなくなってきてしまった25歳の頃、春風亭小朝師匠と知り合って、『落語をやってみたければ言いなさいね』という言葉を頂いたので、小朝師匠の独演会まで行って落語の勉強を志願したんです。でも、この時は落語家になるんじゃなくて、アマチュアとして習うつもりでいました」

落語家になったきっかけには春風亭小朝師匠との出会いがあったようです。
では、三遊亭とむの師匠は小朝師匠なのか聞いてみると…

「いえ、そういうわけではなくて。
落語の勉強として上方の人情噺を小朝師匠の一門の方から口伝で教わってたんですけど、
いざ教わってみると難しくて覚えるのがめっちゃめんどくさくて。せっかく誘ってもらったのに途中で投げ出したんです(笑)。
そこから小朝師匠に会うのも気まずくなって、落語から距離を置いていました」

自分から落語を志願したのになんだか雲行きの怪しい展開!?

「それから一年半ぐらいほったらかしにしていた頃に震災がありまして、
それからしばらくしてマギー審司さんに誘われて気仙沼の復興お笑いライブに出演したんです。
でもそのライブで物凄いスベって、ライブを観に来ていた中学二年の気仙沼の男の子に『頑張れー!』って励まされたんですよ。
励ましに行ったのに逆に励まされて、これじゃダメだって東京に戻ってからすごい落ち込んで。
そのときにふと、そういえば落語もやってないって思って。
そんなタイミングでスピードワゴンの井戸田さんに落語のイベントに出ないかと誘われまして。ちょうどいいと思ってそこで自身の落語をDVDに撮って小朝師匠に見せたんです」

と、軽快に語る三遊亭とむ。何かあってもめげない姿勢がすごいですね!

「もう無茶苦茶ですよね(笑)。いろんなものをすっ飛ばしました。
でも小朝師匠はDVDを観て、『これから落語どうする?』と聞いてくれたんです。
思わずやりたいです! と答えたら、
『じゃあ入門しちゃえば? ただ私の弟子は無理。あなたいい加減だから』
そう言われて小朝師匠から紹介されたのが『笑点』でお馴染みの三遊亭好楽師匠でした」

春風亭小朝師匠に続き、三遊亭好楽師匠。どうやら三遊亭とむの歴史にはさまざまな方との出会いがあったようです。

「僕はそのとき好楽師匠には笑点のピンクの着物の人、ぐらいの認識しかなくて…。
でも会ってみたら一番優しくて、一番いい加減で、一番面白い師匠でした(笑)。
普通、落語家の弟子入りにはものすごい時間がかかるものなんです。
でも好楽師匠に入門のお願いをしたら、三日後喫茶店で面接を受けて。お酒飲めると言ったら即入門と言われて。
あまりにとんとん拍子で逆に怖気づいちゃったんですよ。
不安になってその後断りの電話を入れたんです。
その時の好楽師匠の言葉が、
『実は私、明日誕生日なの! 誕生日に入門おめでとう!』
見事に押し切られました(笑)」

まさに、この弟子にしてこの師匠ありというエピソード!

「すごい師匠なんですよ(笑)。
当時は新しいところに飛び込みたいっていう気持ちがあったし、晴れて落語家として入門することになりました。このとき27歳ですね」

落語家前座時代~二つ目

三遊亭好楽師匠に弟子入りし、落語家としての転身を果たした三遊亭とむ。
その後の道のりは順調だったのでしょうか?
待望の落語家生活はどのようなものだったのか伺ってみると…

「落語家になってから『三遊亭こうもり』という名前を頂いて、前座修行が始まりました。
最初はお笑い芸人と落語家の二足のわらじでいこうとしたんですが、すぐに無理だと悟りました。とにかく前座修行が厳しかったんです。今までのお笑い業界のルールは通用しなかった。
師匠方の身の回りのお世話や仕事を全部自分たちでやるんですけど、できて当たり前の世界。
3か月で5キロ痩せて。毎日親友のウエンツ瑛士に愚痴ってました。
言い過ぎてウエンツ瑛士が愚痴の内容を覚えているぐらいです(笑)。」

どうやら落語家の前座修行というのはとても厳しいようです。
では、その当時はほとんど落語家としての活動はできなかったのか聞いてみると、

「本当は前座は修行の身なのであまり表舞台には出られないんですけど、新しいもの好きの師匠の計らいで例外的に結構自由にやらせてもらえてました。
『R-1ぐらんぷり』の決勝に行くことができたのも前座時代なんです」

との答えが。
とても理解のある師匠の元で修業できたからこそ、三遊亭とむは昔からの素質を伸ばせていたのかもしれません。


「そして、30歳で二つ目に昇進し、晴れて一人前と認められて自由に活動することが許されました。すごくうれしかったですね!今は自分のやりたいことにどんどん挑戦していこうと思っています」


どうやら現在は一人前になり、自由に活動をすることができているようです。
そんな中、なぜ落語家としてエイベックスに入ったのか聞いてみると…

「落語家は個人事務所の活動がほとんどなんですけど、自分だけだといつか頭打ちになる気がしていたんです。個人での活動の限界を感じていたんでしょうね。
そんな折に、たまたま昔からの知り合いであるエイベックスの人に誘われて。
エイベックスなら新しい風を感じられる。ここなら、今まで誰もやらなかった新しいことができるかもしれない。
そう思って身を預けさせてもらいました」
高校時代から新しいこと、やりたいことを常に求めていた三遊亭とむ。
その姿勢は今も変わらず、落語家になってもその信念を貫いているんですね!
と、納得する我々に向かって、

「でも、エイベックスに入って一番感謝しているのは、奥さんにバレずに行きつけのバーのお姉ちゃんを独演会に招待できることですね」

そう不敵に笑って、しっかり感動秘話にオチをつけてくれました!


周りに支えられ、常に新しいものを目指して笑いを作り出している三遊亭とむ。
今まで誰も見たことがなかった笑いを生み出してくれるかもしれない彼の活躍に今後もご期待ください!!

またYouTubeチャンネル『三遊亭とむチャンネル』では随時落語を公開中!
ぜひそちらも覗いてみてくださいね!
■三遊亭とむ YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCIocVVkCVXlWvafQ2R9zqew
■三遊亭とむ オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/suetaka-tomu/
■三遊亭とむ Twitter
https://twitter.com/suetakatomu

■ヤングタウン日曜日

【放送日時】毎週日曜日 夜10:00~

【出演】笑福亭鶴瓶・三遊亭とむ・田口万莉・福島 暢啓
http://www.mbs1179.com/yan_sun/

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