2019/07/06公開 アーカイブ

【独占インタビュー】MONKEY MAJIKがこれまでを振り返る。20周年ビッグパーティへの旅で辿るMONKEY MAJIKヒストリー

MONKEY MAJIKの歴史を紐解く

ーー結成から5年ごとにタームを区切り、4カ所で一夜限りの内容のライブを行う「MONKEY MAJIK Road to 〜花鳥風月〜」。初っ端の「花」公演は、4月29日、地元・仙台で大盛況のうちに終了しました。このツアーにちなみ、ここではMONKEY MAJIKのヒストリーを紐解いていきたいと思います。まずは仙台でフィーチャーされた2000年〜2005年。この5年間は、メンバーのみなさんにとってどんな時代でしたか?

メイナード バンドをスタートしたばかりのこの頃は、自分の生活の中に音楽があればいいなというくらいの気持ちでした。今ある生活の快適なリズムを崩さずに、自然体で、ハッピーであることが一番のテーマ。ま、そこは変わってないんですけどね。インディーズ時代は、別の仕事をしながらの日常生活があり、同時に自分の中の大事な何かを満たしていく音楽もあるという感じでした。

ーーどんなふうに音を出してたんですか?

メイナード みんなで一緒に一軒家を借りてたんです。音を出しても大丈夫な環境だったので、仕事から帰ると軽いセットアップをして、自然とジャム・セッションになる。ひとしきり終わると、「あのギター・ソロ、最高だね」とか「あそこのアレンジはもっとこうしない?」とか、お酒もまじって反省会(笑)。そのうちいろんな友だちがそこに集まるようになりました。ファンはまだそんなに多くなかったから、本当にファミリーみたいな感じ。音楽があるからそういう生活ができているのか、生活があるから音楽ができているのかわからなかったけど、とにかくいろんな可能性を感じながら、楽しくピュアに過ごした5年間だったと思います。

ブレイズ いきなり深い話になっちゃうかもしれないけど、僕らがすべてにおいて大事にしているのは、人とのコミュニケーションなんです。それこそが人生を素晴らしくする最高の秘訣。音楽だと、サウンドと歌詞を通して、よりきれいに人とコミュニケーションすることができる。そして、それがちょっとでも誰かを幸せにできたら、みんなの幸せにつながると思うんです。それこそワールド・ピース。そういう気持ちで始めたので、当時からの本当に素敵なファミリーがたくさんいますね。
ーータックスさんは、そんなおふたりに誘われて加入。当時のことはどう思い出されますか?

タックス 加入する前の僕は、ちょっと迷っていた時代だったんです。というのも、それまである会社でキャリアアップ目指して一生懸命頑張ってたんですが、その度が過ぎて実は体を壊してしまい、結果的に会社を辞めることになった。一体これからどういう生きていけばいいかわからなくなって、生きるって難しいと思う毎日でした。そんなときに、友だちから「メイナードが昔ドラムやってたヤツを探してるんだけど」という連絡がきたんです。

ーーバンドをやる自分の姿を、そのときどう想像しましたか?

タックス 仕事を適度に一生懸命やって、空いた時間で好きな音楽をやるという生き方もいいなと思いました。誰かがブレーキになったり、アクセルになってくれるような関係性の中で、これまでとはまた違った生き方ができるのかもしれないと。しかも、音楽は聴くのもプレイするのも好きだった。だからこれは、この先の人生ですごく大きなターニング・ポイントになるだろうと思い、このバンドをパートナーとして選びました。ある意味自分自身のリハビリのつもりでもあったんです。でも、いざ始めてみたら、そういうゆるい気持ちとはまた別のものがそこにありました。

ーーぜひそこを詳しくうかがいたいです。

タックス 真剣に何かに打ち込むことでその質を上げていこうとするのは、お金をいただく仕事では当たり前ですけど、大人が好きなことに取り組めば、それが趣味であってもやっぱり同じように質にこだわっていくよね、ということに気づいたんです。みんなクリエイティブなことに貪欲だったし、僕自身もそれが面白くなった。仕事から早く帰れたヤツからアンプの電源入れて、練習して、練習が終わるのを待って雑談に来る人たちと楽しく過ごして、という日々を過ごすうち、いつしかライブにも人が増えていったんです。何を大切に生きていくべきかを日々考える中、こんなに楽しいことはないよねと思えるようになりました。

ーーまるで映画のように当時の風景が見えてきます。ディックさんが加入したのは、アルバム『eastview』のあたりでしたね。

ディック はい。その何年か前から、「海岸沿いに毎日パーティをやってる外国人がいる」という仙台の都市伝説があって(笑)、なんとなく人づてに彼らのことは知ってたんです。そんな彼らがベースを探してるという話が、あるとき友だち経由で伝わってきた。音楽やってる人は、みんなどこか尖ってたりするから、「コイツとは絶対やれない」ということもあるんですけど、彼らとは会ったとたんなんかフィットしたんです。よくインタビューで、「カナダ人と一緒にやるってギャップはありませんか?」と訊かれたりもするんですけど、そういう違和感もなかった。なぜなのかを分析してみたことはないんですけど。
ーーまるで映画のように当時の風景が見えてきます。ディックさんが加入したのは、アルバム『eastview』のあたりでしたね。

ディック はい。その何年か前から、「海岸沿いに毎日パーティをやってる外国人がいる」という仙台の都市伝説があって(笑)、なんとなく人づてに彼らのことは知ってたんです。そんな彼らがベースを探してるという話が、あるとき友だち経由で伝わってきた。音楽やってる人は、みんなどこか尖ってたりするから、「コイツとは絶対やれない」ということもあるんですけど、彼らとは会ったとたんなんかフィットしたんです。よくインタビューで、「カナダ人と一緒にやるってギャップはありませんか?」と訊かれたりもするんですけど、そういう違和感もなかった。なぜなのかを分析してみたことはないんですけど。

「MONKEY MAJIK Road to 〜花鳥風月〜」“花” 仙台公演

ーーその必要すらないほどナチュラルな出会いだったんでしょうね。仙台公演「花」では、そういった結成当時からの5年間の曲が多く聴けました。

ディック 本当は来年のビッグパーティ「MONKEY MAJIK 20th Anniversary 〜花鳥風月〜」で全曲やりたいけど、そうすると8時間35分くらいになっちゃうので(笑)、あえて4ヶ所に分散して、それぞれ一夜限りの内容にすることにしました。

ブレイズ MONKEY MAJIKには曲がたくさんあるから、毎回ライブの選曲は大変で、どうしても入れられない曲があるんです。でも、今回のコンセプトならそういった曲もできるし、5年ごとの歴史も紐解ける。4ヶ所全部内容が違うけど、全部間違いなくMONKEY MAJIK。そんなふうに感じてもらえるんじゃないかな。

メイナード 「今までやったことのない曲もやってくれた!」と思ってもらえるものにしたいですね。

ディック 仙台公演で多くやったのは15年〜20年前の曲。ということは、今15歳の人にしてみたら、「俺が生まれる前の曲だ!」ってことになりますよね。それって相当昔(笑)。

メイナード そうだね。僕が高校生のとき、レッド・ツェッペリンとかジミ・ヘンドリックスを聴くと、「大昔の曲」と思ってたけど、たぶん20年経ってなかったかも。

ブレイズ たしかに。今の若者にとってMONKEY MAJIKはそんな存在なのかも(笑)。
ディック 時は確実に経ってますね。コワいなぁ(笑)。

メイナード もちろん、懐かしい曲ばかりではなく、代表曲やみんなが聴きたいだろうなと思う曲も入れ込みました。
ーーMONKEY MAJIKのスタートの地ならではの雰囲気でしたね。

タックス なんか音楽ってタイムスリップできるじゃないですか。あの頃と変わらないと感じていたのか、成長したなと感じていたのかはわからないけど、聴いた瞬間そこにパッと戻れるのは、音楽だからできることですよね。

ーーたとえば、今30代のお客さんは、10代に戻って、当時の彼や彼女のことを思い出していたかもしれませんね。

タックス 音楽は若さを取り戻すツール。今、認知症の治療にも音楽療法が取り入れられてますよね。聴くことによって、記憶の底にあるものが呼び起こされて、失われた感覚が甦るらしいんです。そんな効果が現れて、「花」公演の翌日、仙台がやたら活気づいていたとかいないとか(笑)。

ブレイズ いつだったか、僕が保育園で英語の先生をやってたとき1歳だった子が、16歳になって会いに来てくれて、「バンドやってるよ。MONKEY MAJIKのカバーもいっぱいやってる」と言ってくれたことがありました。そういう触れ合いも地元ならでは。今回もうれしい再会がたくさんありました。

1stシングル「fly」から現在に至るまで

ーー仙台は始まりの絆を確認し合う公演になりましたね。さて、8月の東京公演「鳥」では2006〜2010年が、12月の福岡公演「風」は2011〜2015年が、2020年2月の大阪公演「月」は2016〜2020年がフィーチャーされるので、順を追ってその5年ごとの時代感をうかがっていきたいと思います。まず、2006〜2010年。

ディック その時代は初めてのことをいっぱい経験しました。

ブレイズ そう。1stシングルの「fly」では、私とメイナードが全国のFM局を回って、パワープレイをたくさんもらいました。

ブレイズ うれしかったですよ。グラミーで新人賞獲れるのも人生に一度きりじゃないですか。「fly」で全国を回って得たものは、それくらい大きかった。まだ日本語がうまくなかったから、インタビューは難しかったですけど。
ーーそして、まもなく「Around The World」がビッグヒットに。

ブレイズ ちょっと偉そうに聞こえるかもしれないけど、「Around The World」である意味ピークがくることは、みんなある程度予想してたんです。それもこれも『西遊記』のおかげですね。朝起きるたびに数字が上がっていて、本当にビックリしたし、最高にありがたかった。ま、でも、その数字がいつか落ちることもわかってたから、そしたら、過去は早く忘れて次のステップにいきましょうとも話してました。

メイナード 今思えば、ヒットのあと思った以上にペースが早くなって、混乱したこともあったかもしれない。クリエイターであれば、ひとりでも多くの人に聴かせたいと思うのはもちろん当然なんですけど、あまりにも急激なペースになると、たまにブレーキも必要になる。なるべく焦らず、自然体で、仙台中心のライフ・スタイルを変えずにやっていこうとは思ってましたけどね。ま、チャンスもたくさんあって楽しかった分、難しいことも正直ありました。

ディック 関わる人が増えていくとどうしてもね。

メイナード そう。ラクになることはたくさんあるけど、選択肢が増えると判断が難しくなる。となったときに、やっぱりこのファミリーの信頼関係が大事なんだと気づきましたね。MONKEY MAJIKって一体何? という命題をつきつけられて、大人になっていった時期。ある意味激動の時代だったけど、心も技術も磨いて、いい作品もたくさん生まれていきました。

ブレイズ 最初の5年間はボロボロの家に住んでたけど、このあたりから一気に環境もよくなりましたし。

メイナード 自分たちのスタジオを持って、エンジニアをはじめとした音作りのチームができていったです。サポートにミスターやジェリーが参加してくれたのもこの頃。

ブレイズ そのときから、スタッフはほとんど変わってないんです。一緒に仕事をしたいという人たちに恵まれましたね。
ーー2011〜2015年はどうだったでしょうか?

ディック 震災があったことで、実はその前の5年間が霞んでしまってるくらいなんです。

ブレイズ 少しでも力になれる曲をと思って書いた曲もありましたけど、たとえばそれ以前にリリースした「アイシテル」という曲も、出した当初とはまったく違う意味の曲に変わりました。

メイナード こうして考えていくと、インディーズ、メジャー・デビュー、震災、そして、その後の時代と、5年ごとのストーリーがありますね。作った曲には、その時代の空気感や僕たちの気持ちのすべてが入っているんだなとあらためて思います。

ーーMONKEY MAJIKはコラボレーションにも積極的に取り組んでいますが、この時期には小田和正さんとの「A Christmas Song」がありました。

メイナード 20年近くのキャリアを振り返ると、何回かもう辞めてもいいなというモーメントがあったんですけど、小田さんとのコラボ実現もまさにそのひとつ。大好きな小田さんの曲からはたくさんのインスピレーションももらっていたので、もう会うだけで、「僕の仕事は終わりました」と(笑)。本当にうれしい、素晴らしい出会いとなりました。
ーー現在、未来を含む2016〜2020年は、どんな時代と言えそうですか?

タックス さっきブレイズが話してたように、デビュー当時幼かった人たちが、自分のお金でライブに来てくれたりすると、ああ、一世代回ったなという感じがしますね。最近では孫を連れて、三世代で来てくれる方たちも多い。つまり、継続があったからこそ、たくさんの人たちがそうやって長く支えてくださるんだなと。そこはすごく実感してます。だからこそ、その人たちにより喜んでもらえるよう、さまざまなコラボレーションにも取り組んできました。素敵なアーティストの方たちから新たな刺激をもらい、またMONKEY MAJIKの世界に戻るということを繰り返すうちに、自分たちでは気づかなかった力に目醒めさせてもらい、また自分たちでは届けられなかったところに届けられてる気がするんです。僕らだけでカッコつけてやってたら、そういう伝わり方はしてなかったでしょうね。だからこと、音楽を分かち合える仲間たちとも一緒に、2020年のビッグパーティ「花鳥風月」を大きなお祭りにしたいなと思ってるんです。

ブレイズ そのためにも「Road to 花鳥風月」の残り3ヶ所をまず頑張らないと。MONKEY MAJIKのライブは、演奏パフォーマンスだけじゃなく、お客さんから質問やリクエストを聞いたりする時間もある。つまり、演るほう観るほうが互いにきれいにコネクトできる場でもあるんです。今回回っているのはホールですけど、そういった近さを大事にして、みんなでラブ・バブルを作りたいなと。
ーーそして、2020年の「MONKEY MAJIK 20th Anniversary 〜花鳥風月〜」へ。

ディック 平成を経て、MONKEY MAJIKが新たな一歩を踏み出した令和。その2年目の夏、清々しくその日を迎えたいですね。

メイナード バンド20年の歴史を物語る壮大なプロジェクトが、いよいよ動き出したという感覚です。東京オリンピックに向けた明るい気運とともに、MONKEY MAJIKのビッグパーティを、ぜひ楽しみにしていてください!

interview & Text:Miho Fujii
◆MONKEY MAJIK オフィシャルサイト
https://www.monkeymajik.com/
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MONKEY MAJIK Information

「MONKEY MAJIK Road to 〜花鳥風月〜」公演概要
※発売情報はホームページにて
http://www.monkeymajik.com
『MONKEY MAJIK Road to ~花鳥風月~ “鳥” 東京公演』
日程:2019年8月12日(休・月)
会場:中野サンプラザ
チケット料金:指定席 ¥6,800 (税込)
*3歳以上有料/2歳以下のお子様は保護者の膝上鑑賞可

▼一般発売:7月6日(土)10:00より開始
[WEB受付]
・Yahoo!チケット http://r.y-tickets.jp/monkey1901
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・ローソンチケット https://l-tike.com/monkeymajik/
・イープラス https://eplus.jp/monkeymajik812/
・CNプレイガイド http://www.cnplayguide.com/monkeymajik0812/
・楽天チケット http://r-t.jp/monkeymajik

[電話受付]
ローソンチケット 0570-084-002 (Lコード:72627)
“鳥” 東京公演は、2006年~2010年にリリースしたシングル曲をはじめ、アルバム「thank you」「空はまるで」「TIME」「BEST ~10 Years & Forever~」に収録された数々の楽曲を披露予定。
“風”福岡公演
2019年12月15日(日) 【福岡】福岡国際会議場 メインホール
開場16:00 / 開演17:00
お問合せ:キョードー西日本 0570-09-2424

“月”大阪公演
2020年2月29日(土) 【大阪】NHK大阪ホール
開場16:00 / 開演17:00
お問合せ:キョードーインフォーメーション 06-7732-8888

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